ハワイ生活のブログ

セキセイインコとハワイ暮らし。自然とアートが私の一生のテーマ。日本人アーティストOharuArtとして活動中。

ハワイ伝染病の歴史

コロナウィルスが猛威を振るい世界中を脅かしている今日この頃。


ハワイでは現在のところコロナウィルス感染者の報告はありませんが、イベントの自粛や旅行客の激減に伴い、街の活気を失いつつあります。


「隔離」という言葉聞く度に思い起こされるハワイの歴史があります。


オアフ島のダイヤモンドヘッドから海を眺めると、遠くに見える島影、モロカイ島。
「モロカイ島ってどんな所だろう?あまり観光の話を聞かないので、手つかずの自然があったりするのかなぁ」と思っていたのですが、ハワイに関する映画を探して見ていた時に、モロカイ島を巡る歴史を知ることになりました。


ハワイでは19世紀半ばからハンセン病蔓延が始まり、多くのハワイの人々が命を落としました。
ハンセン病は、抗酸菌の一種であるライ菌よって皮膚の白変や肉が窪んだり崩れたりして、その患部が徐々に広がっていく感染症。現在は治療法が確立されていますが、当時は患者を隔離することがハンセン病蔓延に対する残された手段として考えられ、政府はモロカイ島のカラウパパ半島を隔離場所として指定し感染者を隔離しました。


カラウパパは、モロカイ島中央部北端の700m近い崖が海に落ちるその先にある狭い場所。

ハワイの各島から大勢のハンセン病の患者が船で運ばれてきて、このカラウパパ半島で降ろされました。最初の患者12名が送られたのは1866年で、それから103年後の1969年に隔離法が廃止されるまでに、約8000人の患者がこの地に送られたそうです。


カラウパパは政府からも見放された無法地帯で衛生状態もひどく悪かったそうですが、1873年にベルギーからダミアン神父がカラウパパ半島を訪れ、自ら進んでハンセン病患者のために家を建て、水道をひき、植林活動、医療サポートなどを行い、その結果、環境は大幅に改善し、施設も充実していきました。


頭が良く自分に自信があり頑固だったダミアン神父は、患者に寄り添いながら、患者と供に暮らしますが、ダミアン神父自身もハンセン病に感染してしまい12年間暮らしたカラウパパの地で49才で亡くなりました。


ダミアン神父は、モロカイ島ではもちろん、祖国ベルギーでも英雄として現在に至るまで崇拝され続けています。


現在もハンセン病の元患者やその家族がカラウパパに住んでいるそうで、商業的な観光はありませんが、ツアー会社を通して見学することが可能だそうです。



現代、国際社会、情報社会の中でのコロナウィルス。
「隔離措置」「各国入国拒否」というニュースの見出しを見る度に、ダミアン神父の貢献を偉大だと思わざるを得ません。



そのダミアン神父をアート作品にした日本人アーティストがいます。
ハワイに在住のHiroko Shoultzさん。先日、Sunshine Arts Gallery で会い、お知り合いになりました。本人の了解が得られていないのでブログに掲載できませんが、彼女はちぎり絵で ハワイの草花に囲まれたダミアン神父を描いています。
オアフ島内のアートギャラリーやマカダミアナッツ・トロピカルファーム等で販売しているそうです。


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OharuArt Photography
Oharuart.com 

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